【元院長の証言 2】なぜ企業病院ではなく、個人獣医師に病院を譲渡したのか?
9.【元院長の証言 2】なぜ企業病院ではなく、個人獣医師に病院を譲渡したのか?
※この記事は、メディカルプラザが2021年に全国のほぼすべての院長向けに発行した経営情報誌から、就職・転職、そして復職を目指す獣医師(勤務医)に重要な情報をピックアップして加筆・リライトしたものです。
なぜ自分の動物病院を個人の勤務医に譲渡したのか、その証言を頂いた2人目の元院長は実名で取材に応じて下さいました。
島根県出雲市の川上元院長は、企業病院への譲渡は全く考えなかったと仰います。
あるぱ動物病院には、開業以来のスタッフが勤務され続けておられるとのこと。
結婚・出産で病院を辞めると挨拶に来ても、「必ず戻って来ますから」という、院長との暗黙の了解があったというほどにスタッフとの強い絆を創り上げて来た動物病院です。
川上元院長が企業病院への譲渡をなぜ選択しなかったのか。その理由について伺いました。
島根県出雲市の川上元院長は、企業病院への譲渡は全く考えなかったと仰います。
あるぱ動物病院には、開業以来のスタッフが勤務され続けておられるとのこと。
結婚・出産で病院を辞めると挨拶に来ても、「必ず戻って来ますから」という、院長との暗黙の了解があったというほどにスタッフとの強い絆を創り上げて来た動物病院です。
川上元院長が企業病院への譲渡をなぜ選択しなかったのか。その理由について伺いました。
【証言者/2】島根県出雲市 あるぱ動物病院 元院長 川上修五・真樹(獣医師)ご夫妻】
●スタッフの雇用継続を考えると、「オーナー→オーナー」の譲渡しか選択肢はなかった
西川:病院の譲渡に当たり、川上先生は事業承継を選択されましたが、企業病院に譲るという選択肢はあったのでしょうか。
川上:それは全くなかったです。
この出雲市でも企業病院が進出して来るかもしれないとの話を聞き始めたのは、3、4年前でした。その企業病院から譲渡の営業が来ても、私は譲る気持ちはなかったです。
西川:川上先生が個人獣医師への譲渡にこだわられた理由は何だったのでしょうか。
川上:それは全くなかったです。
この出雲市でも企業病院が進出して来るかもしれないとの話を聞き始めたのは、3、4年前でした。その企業病院から譲渡の営業が来ても、私は譲る気持ちはなかったです。
西川:川上先生が個人獣医師への譲渡にこだわられた理由は何だったのでしょうか。
川上:1つの理由としては、患者さんや飼い主さんとの関係で、企業のように事務的ではなく、私達のように親しい関係で診療を続けてもらいたかったからです。
とにかく出雲の飼い主さんは優しい。畑で獲れた野菜を持って来て下さるような関係ですから、この関係性を大事にしてほしいと思いました。
そして最大の理由は、スタッフをそのままこの病院に残したかったからです。
企業病院は方針とは合わないスタッフはどんどんリストラしたり、転勤させてしまうでしょう。私はスタッフのことを考えると、オーナーからオーナーへとバトンタッチしていくこの事業承継しか選択肢にはありませんでした。
この事業承継でも、承継希望の若い先生に一番にお願いしたのは、スタッフをそのまま残すことでした 。
西川:川上先生はいつ頃からこの承継によるリタイアを考えられたのでしょうか。
川上:私は大学卒業後、すぐに青年海外協力隊として南米のパラグアイに行きました。臨床経験を持たずに行ったために実力がなく思うような仕事ができませんでした。逆に現地の家族や周りの人々に助けられました。なので、「いつか自分に実力が付いたら、もう一度行って役に立ちたい」と思いました。
当時の協力隊の募集年齢が60歳までだったので、60歳までには仕事を辞めて、協力隊の試験を受けて、もう一度チャレンジすると30代の頃から決めていました。
そして丁度、60歳になる時に娘が大学を卒業して子育てが終わるので、この機会を活かそうと辞める準備を始めて、承継者探しを依頼しました。
私の希望としては依頼して2年後くらいに決まってと考えていたのですが、西川さんからは「5年から10年経ってもこの山陰側には希望者が来ないかもしれません」とアドバイスを受けていました。その後、「出雲にご縁がある方がいました」と連絡があり、私が予定した通りのスケジュールで病院の譲渡が決まりました。
リタイアのタイミングとしてはベストで、再び海外協力隊としてチャレンジすべく、近くの山登りで体力づくりを始めています。
西川:川上先生が個人獣医師に譲渡することで、事業承継で次世代に引き継いでもらいたかったものは何だったのでしょうか。
川上:スタッフのことだけでした。スタッフは皆、子供を持って頑張っているから、とにかくスタッフは守りたいと思いました。
そして丁度、60歳になる時に娘が大学を卒業して子育てが終わるので、この機会を活かそうと辞める準備を始めて、承継者探しを依頼しました。
私の希望としては依頼して2年後くらいに決まってと考えていたのですが、西川さんからは「5年から10年経ってもこの山陰側には希望者が来ないかもしれません」とアドバイスを受けていました。その後、「出雲にご縁がある方がいました」と連絡があり、私が予定した通りのスケジュールで病院の譲渡が決まりました。
リタイアのタイミングとしてはベストで、再び海外協力隊としてチャレンジすべく、近くの山登りで体力づくりを始めています。
西川:川上先生が個人獣医師に譲渡することで、事業承継で次世代に引き継いでもらいたかったものは何だったのでしょうか。
川上:スタッフのことだけでした。スタッフは皆、子供を持って頑張っているから、とにかくスタッフは守りたいと思いました。
奥様(獣医師): 周りに私たちよりも診療時間の長い新規開業病院ができた時、私たちは逆に短くして、家庭を持つスタッフが働きやすくしました。そのためか、出産後にもまた戻って来てくれました。だから、この承継でもスタッフを一番大事にしてほしいと思いました。
川上:開業から20年、患者さんと長く接して来ている看護師がたくさん居ます。私は普段から「スタッフはうちの宝物だから」と言っていました。
西川:大都市では、妊娠した後に残るとか戻ってくる看護師はごくわずかです。
出産後に戻って来る看護師や女性獣医師が増えれば、現在の人材不足が改善していくと思うのですが、そうなってはいません。
奥様:妊娠した看護師が居ると、みんなで助け合って頑張ろうと言ってしました。
西川:大都市では、妊娠した後に残るとか戻ってくる看護師はごくわずかです。
出産後に戻って来る看護師や女性獣医師が増えれば、現在の人材不足が改善していくと思うのですが、そうなってはいません。
奥様:妊娠した看護師が居ると、みんなで助け合って頑張ろうと言ってしました。
西川:この「助け合う」というカルチャーがあるのは素晴らしいことだと思います。
こうした点はどの動物病院も大事にしなければならないカルチャーだと思います。
メディカルプラザの人材紹介業 ベテリナリオは、これからの動物病院の二極化に対応できる繁盛病院を転職したい勤務医にご紹介していくとともに、女性勤務医の長期雇用についても院長への啓蒙を行い、現場を離れている女性勤務医の復帰、復職などについても積極的に取り組んでいかなければならないことと考えております。