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【元院長の証言 4】 開業院長は20代でどんな働き方をして来たのか?

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11、【元院長の証言 4】 開業院長は20代でどんな働き方をして来たのか?

※この記事は、メディカルプラザが2021年に全国のほぼすべての院長向けに発行した経営情報誌から、就職・転職、そして復職を目指す獣医師(勤務医)に重要な情報をピックアップして加筆・リライトしたものです。

「20代でどんな働き方をして来たのかで、その人の獣医師としての人生が決まる」

 

 これは、この動物病院業界で500人以上(全体院長の5%)の開業医を生み出して来た、コンサルタント西川芳彦の25年以上の経験から出て来た言葉です。

 そしてこの言葉は、全業種、全職種にも当てはまります。

 気力・体力がある若い時にがむしゃらに働いたという経験は、50代や60代になった時に「まだまだ頑張れる」という自信になって活きてくるからです。

 

 「燃え尽き症候群」という言葉があります。
 これは、自分がやることが何も無くなってしまい、空っぽの状態になることを言いますが、定年を迎えた直後のサラリーマンや公務員にこの症状が現れます。アルコール中毒も、定年直後になる率が高いと言います。特にこの燃え尽き症候群になりやすい人は、仕事人間、会社人間だった人です。

 これまで事業承継で40代、50代で院長リタイアされた先生は200人以上おられます。「やっと院長という重責が取れて、これからの人生を楽しみにしています」と、これまでやりたいと思って来たことがようやくできるようになると承継後を楽しみにされていて、リタイア後にやることがない人はおられませんでした。

 この年代の元院長は、20代は超ハードワークで働いておられます。

 若い時に厳しい労働環境の中で意欲や体力を養って来たからこそ、次へとチャレンジしていけると言えるのでしょう。

 

 そこで承継リタイアした元院長に20代の時にはどんな働き方をして来たのかを伺ってみました。

 

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【証言者 2/島根県出雲市 あるぱ動物病院 川上修五元院長】

 

卒後すぐの青年海外協力隊の経験で「何でもできる」と自信が持てるようになり、開業も閉業も、不安よりもワクワクでやれました

 

西川:私はこれまでの若い獣医師のコンサル経験から「20歳代でどんな働き方をして来たかで獣医師としての一生が決まる」との結論に達しました。
 やはり厳しい労働環境の中で積んできた経験がなければ、開業院長には到底なれないからです。
 川上先生はどんな20代だったのでしょうか。

川上:私は大学卒業後すぐに青年海外協力隊として南米パラグアイに行きました。希望はアフリカだったのですが、JICA(独立行政法人国際協力機構)から、「パラグアイになったのですがどうしますか」ときかれて、即座に「行きます」と答えて、行って来ました。

 

 

西川:30年前くらいに南米のパラグアイに行かれて、どんなことに気付きましたか。

川上:まず、日本は何と安全な国なのかと気付かされました。日本では当たり前にある自動販売機を説明しても、全く分かってはくれませんでした。そんなものがあると壊して奪っていくと。
 私は協力隊で「どうせ行くならば一番大変な場所に行きたい」と考えていたのでアフリカを希望したのですが、希望は叶わずパラグアイになりましたが、2年間働いたお陰で、20代にして「自分にはやれないことはない、どこに行っても大丈夫」といった自信を付けて帰国することができました。


西川:若い時の苦労は買ってでもしろと言いますが、なぜ大変なチャレンジをしようと思われたのでしょうか。

川上:実のところは、自分を試したかったのでしょう。大学2年の時、協力隊に行って帰国した時に獣医師になろうと考えて学士入学して来た人が居ました。その人との出会いがきっかけとなって、卒後に海外協力隊に行くという選択肢ができました。
 アフリカ希望でしたが、南米パラグアイに行って、自分に自信を付けて帰国できたので、私の20代は面白く生きてきたと思います。


西川:川上先生の20代は、今の日本の若者がキツイ職場を「ブラックだ」と言っているレベルからすると、そのブラックを遥かに超えたご経験だと思います。
 私は水産大学出身で、学生時代に調査船で4ヶ月、南氷洋に行った経験がありますので、こうした経験は若くしてできるうちにしておくべきだと考えて来ました。

川上:協力隊に行った経験は、その後の私の人生においても本当に大事な経験として活きています。20代で何でもできるとの自信を持てたことで、開業の時も、不安を楽しみや面白さに変えてしまうことができるようになれたと思います。

 開業は何千万円かの借金を抱えてのスタートですし、患者さんが来るかどうかの心配もありますが、このパラグアイでの経験によって、どんなネガティブなことでも面白いこととして捉えることができるようになったと思います。

 

 

西川:こんな海外経験があるから、開業についてもリスクばかりに目が行くことはなかったのでしょうか。

川上:そうです。帰国後は農業団体に入って大動物の仕事をしていましたが、その後に開業を目標にしてこの小動物の世界に入りました。都会で開業するよりは地方の方がいいと思い、この出雲市で開業しました。

 この事業承継にあたり、「若い獣医師は地方での承継を避ける傾向が強い」と聞いて「なぜなんだろうか」と思っていました。この出雲は車で20分も走れば海で釣りができたりと、楽しく面白いことが一杯あるのにと。

 

 

西川:「地方は不便」というイメージで、地方では暮らせないと思っている若い獣医師の奥様が多くて、地方での承継に反対されるのです。

川上:今回の承継では、「10年かかっても承継者が出てこないかもしれません」と言われていたので、「出雲市で承継してもいい先生がいます」との連絡を受けた時は、このチャンスを逃したら次はいつかわからないという気持ちでこの承継話を進めて来ました。

 新院長のように、地方で承継したいと考えられる先生は、「物事を常にプラスに捉えることのできる人」なんだと思います。

 

 

 メディカルプラザの人材紹介業 ベテリナリオは、これからの動物病院の二極化に対応できる繁盛病院を転職したい勤務医にご紹介していくとともに、女性勤務医の長期雇用についても院長への啓蒙を行い、現場を離れている女性勤務医の復帰、復職などについても積極的に取り組んでいかなければならないことと考えております。