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タイで開業した女性院長へのインタビュー~日本自体に問題アリ~

女性獣医師,復職,動物病院,臨床現場,海外

女性獣医師の本音トーク その36(特別編/ 女性獣医師による、タイでの開業医インタビュー)

 2022年1月、メディカルプラザの人材紹介事業ベテリナリオは、現在の人材採用難をどうすれば改善の方向に向けさせられるのかを考え始めました。
 そして、その解決の大きなカギとなる存在に気付きました。
 それは、女性獣医師の存在です。
 メディカルプラザのこれまでのコンサル経験から、「女性獣医師は40歳までに80%以上の方が臨床現場をやめてしまう」ことが分かっています。
 しかしながら、なぜ臨床現場から離れてしまうのか、その理由は調べてもどこにもありませんでした。
 そこで、ベテリナリオが独自に調査することにしました。
 ここに掲載している原稿は、女性獣医師先生がご執筆頂いた原稿をできうる限り「そのまま」掲載しています。先生方にも実際にあった出来事などを事実に即して記述して頂くよう、お願いしております。「匿名」での掲載が多いのも、このためです。

 子育て難から海外に飛び出すことを決断、日本と海外の獣医師の違いをズバリ指摘します

 【タイ・バンコク開業医 塩谷 朋子先生 × タイ在住・女性獣医師】

タイのバンコクで、2人のお子さんを育てながら、動物病院を開業経営されている塩谷朋子先生のお話を伺いました。
塩谷先生は、30歳で渋谷に開業され、10年間病院経営をされた後、病院を売却、オーストラリアで駐在員として勤務されたご経験を持ちます。その後、2022年にタイのバンコクでSOMA VET CLINICを開業されました。

子育て環境は、日本国自体に問題あり

Q. 日本で開業されていた塩谷先生が、海外を目指されたきっかけは何でしょうか。

塩谷先生:
現在の日本社会では、子育てをしながら病院経営を続けることが不可能だと判断したことです。当時、子供2人は「待機児童」でした。認可保育園はもちろん、認可外保育園にも空きがなく、唯一預けられそうなのはホテルのデイサービスで、1人1時間2500円とちょっと現実的ではなかったです。
 1人は病院に連れて行くこともできましたが、2人はできません。どこにも子供を預ける場所がなかったのです。
 当時住んでいた自治体での支援制度は見かけ上たくさんありましたが、自分は何ひとつ使えませんでした。国を信じて、税金も人より少し多いくらいは支払ってきたのに、いざ自分が子育てをする番になり、これほど困っているのにも関わらず、誰にも全く助けてもらえないということに絶望してしまいました。
 さらに、日本での閉塞的な子育て環境によって、いわゆる産後うつのようになったため、なんとか状況を打破しようと、海外に目を向けました。結果、オーストラリアで駐在員として勤務することになり、その後、タイで開業するに至ります。


Q. 日本で子育てをしながら働く難しさは、昔から一向に変わりませんね。

塩谷先生:
日本という国に問題があると思います。
 子供をどこにも預けられないという状況が全く改善されていません。私は子供を産むのが遅い方だったので、先に出産した友人たちが随分前に子供の預け先がないと困っていたのを聞いていて、10年くらい経ってもまだ同じことを言っているなぁと思いました。
 そして、誰しもがそのような時期を経験するのですが、残念なことに、その時をどうにかして乗り越えた後は忙しすぎて、声にする時間もないのです。


Q. 子育て環境は、海外に出てどのような点が良かったですか?

塩谷先生:
海外は、子供に優しいです。例えば、子供が泣き止まない時、日本では「早く静かにさせろ、しつけが悪い」というような育児に対する無理解と大人都合の環境を押し付ける強い圧力を感じました。
 また、疲れ切って食事を作れず、外食に出ると「こんな小さい子供を外食に連れだして」と非難されました。
 一方、オーストラリアでもタイでも、そういった空気は一切なく、子供が泣いていても年齢なりに相応に騒いでいても「可愛いね、大変よね」と声をかけてくれます。
 また、子供の預け先に関しては、タイではナニーさん(ベビーシッター)を支払できる範囲で雇えますし、オーストラリアでも、安いとは言えませんが、子供を預けられないことはありません。子供をどこにも預けられないというのは、東京だけではないでしょうか。
 海外に出て、子育てで追い詰められることがなくなったのが本当に良かったです。

組織に貢献して必要とされる獣医師になること

Q.日本の動物病院で女性獣医師が働き続けることは難しいですが、どのようにすれば子育てと仕事が両立できるとお考えでしょうか?

塩谷先生:
 例えば、子供が産まれると、子供の都合で急な欠勤が増えることがありますよね。昔ながらの院長だと、そのような獣医師を継続して雇用することに難色を示す人もいるとは思います。
 ただ、最近は院長の考え方も色々で、理解のある院長も多いです。また、プライマリーケアを専門にしている病院など、勤務の融通が利く病院も多くなっているはずです。
 そういった病院を探して勤務するという手もあります。
 また、組織に貢献して、必要とされる獣医師になる努力も大切です。
 院長としては、必要な人材にはできるだけ長く勤めて欲しいという気持ちがありますから、必要とされる人材になれば、院長も事情を考慮してくれますし、勤務上での融通も通りやすくなるはずです。そして、最終的にここでは無理だと思った時は、自分から動くことも大切です。何かしら動くと、助けてくれる人も出てきます。出産後、臨床復帰が怖くてできないというのはもったいないと思います。

勤務医でも、自分で考えて、自分が稼ぐという発想を持つ

Q.日本人獣医師は、自分で稼ぐという気概がなく「給料は払ってもらうもの」という意識が強いです。海外をご経験されている塩谷先生から見て、この点に関してはどのように感じますか?

塩谷先生:
 日本人は、教育の影響などで、いわれた通りの仕事しかできなくなっている人が増えていると感じています。応用力に欠けて、大きな視野を持ちにくくなっています。
 日本であれ海外であれ、獣医師であれほかの仕事であれ、言われた仕事の文脈を考えて有機的な仕事をすることが大切です。
 また、特に女性のワークバランスに関しては、日本はこれほど長い間、うたい文句ばかりで社会は動けませんでした、変わりませんでした、むしろ育児手当の減額など、さらに悪化に向かっています、社会や構造が変わるのを待っている時間はないので、自分の居場所を、ワークバランスを自分で作るしかありません。
 また、動物病院の場合、院長と勤務獣医師は給与面で対立構造に陥りやすいですが、勤務獣医師は、組織に属しているメリットにも目をむけるべきです。院長は一生分の借金を背負い、面倒な書類作業を行い、リスクを負って開業しています。従業員側は、組織に期待ばかりして、不満を募らせるのではなく、少し踏みとどまって貢献してみることが大切です。
 さらに、働くにあたって、柱をたくさん持つことも大切だと思います。私自身、臨床に依存し続けないという考えも持っていて、違う軸のビジネスについても考えています。どこかの大学に行けば、どこかに所属さえすれば生きていけた時代は終わり、自助努力ができる人が生き残る国になったんだと思います。


Q. 収入に関しても、例えばアメリカの獣医師と日本の獣医師の年収格差は開く一方です。その点については、どう思われますか?

塩谷先生:
もちろん、ひとつには、日本は固定給与制ですが、アメリカは固定給を低めに設定した歩合制ですよね。そういった給与体系の影響もあると思います。
 でも、大きくは、日本企業独特の気質や構造に問題があると思います。
 駐在員として日系企業の現地マネージャーとして勤務した際に、日系企業では、個人の裁量がほとんどなく、内部監査に多くの時間と手数が割かれて、肝心の経営努力や先を見渡し成長し続けるための努力を放棄しているように見えました。日本人はいつのまにか小さな成功が永遠に続くと信じ込んで、自らの成長を止めてしまったように感じました。
 海外企業は、ある程度の裁量を持たせる代わりに、売り上げ目標を持たせます。裁量を持たせると、悪いほうに裁量を行使するリスクは含みますが、多くの外資系企業ではそのようにして組織を成長させています。

諦めない「胆の力」で、タイバンコクで開業

Q.タイでの動物病院の開業は容易ではないと思いますが、ご自身では、何が強みで実現できたと思われますか?

塩谷先生:
「運」と「胆(きも)の力」だと思います。
 まずはじめに、タイ進出をサポートするコンサル会社に相談したところ「医療系にタイに外資が入ることは困難で開業は難しい」と言われました。
 でも、そこで諦めずにタイに来てみて、ロックダウンでも残ってみたところ、コロナ禍で海外企業がどんどん撤退していきました。そのようなタイミングだったので、難しいと言われていた単独起業外国人としてのワークパーミットの取得が叶いました。これは「運」ですし、コンサルにできないと言われても諦めなかった「胆の力」だと思っています。
 もちろん、色々なところで、色々な人が少しずつ協力してくれました。大きな資金援助などを受けたことはありませんし、誰かが助けてくれると期待したこともありませんが、結果として多くの人が少しずつ助けてくれました、これまでを振り返るといつもそうでした。


Q.最後に今後のビジョンについて教えてください。

塩谷先生:
現在、医薬品の輸出入ビジネスを考えています。
 タイでは使える薬も少ないので、まずは自分が使う薬から手始めに探ってみて、いずれは医薬品の商社的やサプライヤーな役割を果たせればいいと思います。より良い医薬品をまずはタイでも提供できるようにしたいです。
 また、病院としては、箱を大きくして人材を集めるという方法にはいろいろな意味で無理で非効率だと感じるため、違うアプローチで「届く医療」を実現したいと思っています。まだ国外での挑戦は始まったばかりですが、獣医療というぶれない基線から、届く、つなぐ医療を具現化して広げていきたいです。
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 ※メディカルプラザ・ベテリナリオは、事業承継を通じて、全国10000件の動物病院院長へ直接「情報誌」を発行し続け、2000人以上の院長、獣医師と直接お会いしてきました。


 この情報発信と直接的な繋がりによって、女性獣医師の本音を病院院長に届けて、人材採用難解決の提案をして参ります。


 これにより、職場改善や経営改善に取り組む動物病院をもっともっと増やしていきたいと考えています。