動物病院や愛護センターでの多様な経験を赤裸々に語る
女性獣医師の本音トーク その50 Part1(①働く現場の生の声)
そして、その解決の大きなカギとなる存在に気付きました。
それは、女性獣医師の存在です。
メディカルプラザのこれまでのコンサル経験から、「女性獣医師は40歳までに80%以上の方が臨床現場をやめてしまう」ことが分かっています。
しかしながら、なぜ臨床現場から離れてしまうのか、その理由は調べてもどこにもありませんでした。
そこで、ベテリナリオが独自に調査することにしました。
ここに掲載している原稿は、女性獣医師先生がご執筆頂いた原稿をできうる限り「そのまま」掲載しています。先生方にも実際にあった出来事などを事実に即して記述して頂くよう、お願いしております。「匿名」での掲載が多いのも、このためです。
《シリーズ企画 臨床現場復帰までの軌跡 その7ー1》~N女性獣医師のコーチングを活かしたリアルルポ 前編~
【編集部・注】
ケース7のJ先生のリアルルポはお送りいただいた原稿が長文であったため、その7ー1は『①働く現場の生の声』、7-2は『②院長への提言』として2本に分けて掲載します。
【ケース 7】 J女性勤務医
私立獣医大学を2003年に卒業。新卒で3年間勤務し、その後、6件目まで結婚、子育てをしながら緩く勤務する。その中で、マッサージを専門に提供することになる。
【獣医師になったきっかけは?】
Q:獣医師になったきっかけを教えてください。
小さい頃に、飼っていたモルモットが病気になって亡くなる体験をして、『病気についてもっと知っていたらいいのに』と思い、勉強して大学に入りました。
運が良かったと思います。大学の付属高校で、馬術部に入っていて、大学の先生とのつながりも深く、成績もある程度良かったので推薦が取れたんです。
Q:なるほど、推薦入学ですね。あらかじめ獣医師になる道のりが決まっていた、という感じすらしますね。
はい、実は3つ上の兄がいて、兄の高校案内の本をみていた時に、最初のページが五十音の『あ』で、付属の高校が掲載されていました。
面談の時に、行きたいと言ったら、先生にいいよ、と言われて、馬術部にも興味があって、高校では馬術部に所属しました。高校でも成績が上位5−6人くらいしか獣医学部に入れない感じだったのですが、自分でいうのもなんですが、成績もある程度良かったので推薦枠で入れました。
Q:新卒の動物病院について、どのように選ばれたかを教えてください。
大学在学中6年のうちでいくつかの病院見学をした中で、特に行きたいところも見つからず、国家試験も受かって、いよいよ決めなくてはならない時になって、家の近くの病院のホームページをみつけました。
そこは横浜の動物病院で、その病院に1日行きました。その何日か後に、師匠の方の動物病院に行ってみない?と声をかけてもらい、行ってみました。その病院では、内定した学生が国家試験に不合格だったので、1人欠員がでたところでした。そこで、「働いてみる?」となって、その流れで就職しました。
勤務期間は3年間でした。院長と、3年目くらいの先輩獣医、自分。看護師が2、3人で、いわゆる普通のまちの獣医さん。1次診療施設でした。
Q:勤務状況について教えてください。
内容は、今思うと、いわゆるブラック企業のように感じました。週6〜週7日病院に行っていました。8:30〜19:00まで。途中休憩時間は1時間。
日曜日は連続の患者さんがいたら、8:30に行って、犬の散歩をして、9:00から診療する、という感じで毎日行ってました。
若かったし、そこしか知らなかったので、がむしゃらに仕事をしていました。臨床3年目の先輩がものすごく頑張っていたので、その方に引っ張られる感じ、馬術部の部活精神のような感じで、私もがんばりました。この病院では、とても精神的な勉強になったと思います。感謝しています。
3年は頑張ろうと思っておりましたが、2年目で結婚しました。3年目でこの病院は退職しました。
【2番目〜6番目の動物病院】
Q:2番目に勤務された病院はどんな病院だったのでしょうか。
2番目に就職したのは、企業病院が出始めたところです。A系の動物病院があって、先輩の先輩が働いていて、紹介で就職しました。
しかし、数週間で妊娠していることがわかり、少々遠距離な通勤が辛くて、パート勤務にしてもらいました。
そのあともお腹が大きくなるに連れ、どんどん通勤がきつくなってきたので、近くの病院に変えてもらったりして、産休に入るまで優しくしてもらえました。女性の院長だったので、ケアもしていただけて、とても恵まれていました。
パートで育休中でしたが、病院に籍だけ残して1年間育児をしました。この時は無給でした。
1年後、子供から離れるのが嫌で、病院を退職しましたが、その後すぐ、主人の転勤で仙台に引っ越しました。
ありがたいことなのですが、1番目の院長のお友達が仙台にもいらして紹介していただきました。その院長先生にご挨拶に行ったら、『専門学校の先生もやっているけど、忙しいのでちょっと手伝ってくれないか』、と声をかけていただき、お給料もよく、月1回、3時間くらいでできる授業を受け持たせていただきました。
月1回子供と離れる時間くらいで、大きな負担もなく、6年半くらい、その仕事を緩く続けました。
幼稚園に入り、動物病院では一日中居なくてはならないという印象が強く、働きたくないので、何かないかと探していました。
『お散歩ボランティア』を見つけてしばらくやりましたが、ボランティアの世界もいろいろと暗黙のルールのようなものがあり、硬くて、途中でやめました。
その後、そのボランティアを募集していた動物管理センターから「臨時職員をやりませんか」とオファーをいただき、子供を幼稚園に預けている時間だけでしたが、働きました。
その仕事内容ですが、ちょうど震災の翌年で、動物慰霊祭なども行いましたし、被災した犬に飼い主がいるかもしれないので、殺処分ゼロを目指した動物管理センターでの仕事はやりがいがありました。
しばらくして育休の人が戻って来て、私は退職し、その後の半年間は失業保険をもらうことができました。
その後、愛護センターのご縁で、わがままな雇用条件で受け入れてくれた動物病院があり、しばらく働きました。そのあと、主人の転勤で東京に引っ越し半年くらいのんびり過ごしました。
【追記 コンサル西川からのN女性獣医師への質問】
コンサル西川:文中に「わがままな雇用条件で受け入れてくれた」とありますが、この雇用条件とはどういうものだったのでしょうか。
N女性獣医師:これは、「時短勤務で働く」ことだったと思います。
まだまだ子育て中の女性獣医師が安心して働ける時代でもなかったので、「申し訳ありません」と言って働いていたようでして、この「わがままな」といった表現をされたのだと思います。
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※メディカルプラザ・ベテリナリオは、事業承継を通じて、全国10000件の動物病院院長へ直接「情報誌」を発行し続け、2000人以上の院長、獣医師と直接お会いしてきました。
この情報発信と直接的な繋がりによって、女性獣医師の本音を病院院長に届けて、人材採用難解決の提案をして参ります。
これにより、職場改善や経営改善に取り組む動物病院をもっともっと増やしていきたいと考えています。